日本人の祖先が来た道

「シベリアから北海道」「朝鮮半島から対馬」「台湾から沖縄」の3ルートが日本人の祖先が来た道と考えられています。それを知って与那国島の西崎(いりざき)の海を眺めると潮の流れの速さに驚きます。それは対馬の各展望台から眺める対馬海峡西水道(朝鮮海峡)、稚内市の宗谷岬から眺める宗谷海峡も同じです。3万年前、それぞれの渡海に何度も何度も失敗し、日本人の祖先はこの列島にたどり着いたのでしょう。ナショナルボーダー(国境)などない時代、人類の前に立ちはだかる”壁”は川のように流れる「海の水道」だったのだと、実感します。2019年夏には”地図、コンパス、スマホ、時計などは持たない”など3万年前の条件をいくつも課して、”杉の木をくりぬいた丸木舟”で台湾・与那国ルートの航海に国立科学博物館のプロジェクトチームが挑戦し、成功したニュースもありました。

与那国島は1945年の終戦までは台湾と自由に往来でき、戦後も闇物資を送る復興貿易の拠点として栄えていた(1947年の人口は約1万2000人)とのことですが、現在は航路も空路もありません。この状況を打破すべく与那国町の国境交流結節点化推進事業が計画され、まずは今年度に社会実験が始まるとのことです。それほど遠くない将来、両島が高速船で結ばれれば、与那国島だけではなく八重山諸島を訪れる観光客、ワ―ケーションでの滞在者の観光・行動の範囲が台湾まで広がることが期待できます。真にアフターコロナ時代のボーダーツーリズム(国境旅行)の実現です。

与那国島西崎には日本最西端の碑があります。
島南東部の海岸にそそり立つ立神岩(たちがみいわ)島民に信仰もされる神の岩です。

 

与那国島と与那国馬

与那国島は日本最西端の有人国境離島です。東京からは約1900kmの距離ですが台湾とは約110km。私には経験はありませんが、年に数日、台湾が望めるようです。島の東の端、東崎の広い草原には与那国馬が放牧されています。他品種との交配や品種改良が行われたことがない、固有種とのことです。昔は農耕馬、今は観光用で来島者も見ることができますが、生き物の自然の姿、厳粛な時間の流れに感動さえ覚えます。                                    与那国島の人口は約1700人。中には約250名の自衛隊員とその家族が含まれます。与那国ブルーの海と与那国グリーンの草原、Dr.コト―が自転車を走らすパラダイスのような島ですが、日本の防衛の前線基地でもあり、南方アジアへのゲートウェイでもあります。与那国空港は小型プロペラ機が離着陸するですが、中型機B737も使用可能な長さ2000mの滑走路を持ちます。

コロナウイルスパンデミックにより従来の観光が見直されています。ワ―ケーションで日本中いやアジア・世界中から与那国島に移り住んだ人々が、仕事の合間に与那国馬のいる東崎に自転車を走らせ、週末には他の八重山諸島、さらには台湾へ気軽に週末旅行をする賑わいも夢ではありません。

Dr.コト―が自転車で走る姿が見えるようです。

 

残酷な画像です。与那国馬はこの草原で生まれ、生き、骨になって土に還ります。
与那国馬

対馬・和多津美神社

長崎県対馬にある和多津美神社。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮として有名です。本殿正面の5つの鳥居のうち2つは海中にそびえていました・・。「いました」と過去形なのは令和2年9月の台風10号により一の鳥居(一番海側にある海中鳥居)が倒壊したからです。昨年11月、私は海から倒壊した一の鳥居と和多津美神社を見ることができました。クラウドファンディングにより想定以上の資金が集まり、鳥居の復旧作業が始まるとのことでした。竜宮伝説が残る神秘的な境内は一見の価値があります。