国境のまちに生きた先人たち
コロナウイルスパンデミックがニュースになり始めた2020年1月、羽田空港第2ターミナル5階で「ふるさと先人展 国境のまちに生きた先人たち」を開催しました。主催はボーダーツーリズム推進協議会。嚶鳴協議会とPHP総研に協賛をいただきました。礼文島の「柳谷万之助」(礼文島和人移住者第1号)を始め、稚内市は徳川家御庭番で樺太が島である事を確認し間宮海峡を発見した探検家「間宮林蔵」、長崎県対馬市は対馬藩に仕えて李氏朝鮮との通好実務にも携わった儒者「雨森芳洲」、長崎県五島市は第16次遣唐使船(804年)で五島より唐に渡った「空海」など国境・境界地域ならではの先人が紹介されました。 搭乗待ち方や飛行機を見学に来た方方など多くの方に足を止めていただきました。
嚶鳴協議会
この先人展に協賛していただいた嚶鳴協議会とはふるさとの先人を通して「まちづくり、人づくり、心そだて」を実現しようとする市町連携で、2007年に12の市町が参加して設立されました。ふるさとの先人を「偉い人だった」と顕彰するだけではなく、「地域経営の身近な素材」「地域からの情報発信の素材」としてその教えを伝えていく取組みを行っている現役の首長さんたちが語り合う場で、今も続いています。「嚶鳴」とは鳥が仲良く鳴き交わす様子を表す言葉です。発起人は愛知県東海市の前市長鈴木淳雄氏、事務局はPHP総研。ANAグループは当会設立時からその取組を応援してきました。
https://oumei-forum.tokai-arts.jp/
サンアイ イソバ
話が前後しましたが展示された国境・境界地域の先人の中で一人だけ私が知らない人物がいました。沖縄県与那国町の先人「サンアイ イソバ」です。彼女は15世紀末から16世紀初めに与那国島を統治した女傑で、サンアイは地名。島の言葉でガジュマルの意味で、イソバは個人名。身の丈8尺(約2.4メートル)超あり、与那国島に攻めてきた琉球王国軍を先頭に立って撃退したという伝説があります。今でも墓の下では祭祀が行われるなど与那国島の風土に深く溶け込んでいます。サンアイ イソバは与那国島の卑弥呼なのかもしれません。歴史の教科書には出ていませんが、安土桃山から江戸時代に琉球王朝とも異なる統治の島があり、独自の歴史があったことに驚きます。与那国島の矜持さえ感じます。
サンアイ イソバ、後で調べると司馬遼太郎さんの「街道をゆく 沖縄・先島のみち」に登場していました。
斎場御嶽
沖縄の歴史もなかなか知ることはできませんでしたが、1995年ころに本島南部にある遥拝場所、斎場御嶽(せいふぁうたき)を訪れてから調べてみるようになりました。
遥拝は天孫降臨伝説のある久高島の方角に向かって行います。沖縄本島にもアマミキヨという女神とシネリキヨという男神による国作り神話があり、久高島と斎場御嶽を結ぶ線をさらに真っすぐに伸ばすと琉球王朝時代の大城だった首里城があります。斎場御嶽は15世紀頃の尚真王の時代に重要な神儀が行われていたようです。まるでイザナギとイザナミによる国づくり、天皇の名代として伊勢神宮に仕えた斎王にも通じ、琉球王朝の正統性を作り上げた過程での日本との交流を垣間見ることができます。私が訪れた当時は観光バスが近づくことも難しく、亜熱帯の植物がおい茂りヤドカリなどが住む処でしたが、今はパワースポットとして沖縄の観光名所の一つになっているようです。
万国津梁の精神に学ぶ
日本とだけでなく中国とも交流を続け、明時代(1368年~1644年)の対明朝貢回数は琉球王朝が第1位で171回、日本の19回、朝鮮半島の国々からの30回と比較しても圧倒的に多いとの資料があります。超大国・明に貢物を捧げることで自治権を維持する外交も怠っていなかったのです。国境線などははっきりしない時代ですが、琉球の万国津梁の精神に学ぶところもあるのではないでしょうか。
風土と風度
嚶鳴協議会のアドバイザー的な役目を務めている歴史作家・童門冬二氏はある講話で「風土と風度」の話をなさいました。「風土」とはご承知の通り、地域独特の景観・自然、史跡、美味しい食べ物など目に見え、手に取れ、味わえるもの。一方、「風度」とは目には見えず、手に取れず、味わえない空気のようなもの。「風土と風度」が地域を特徴付けている。「風土」と「風度」が一緒になって訪れる人々を魅了するのではないか。まさに観光での地域活性化の本質にもつながる指摘だと思いました。
風度を育てる教育
「風土」は重要な観光資源なので地方自治体の皆さんはそれを守り、磨き上げようとします。沖縄を例にとれば青い海・青い空・白い砂浜、琉球料理、首里城などの史跡などは素晴らしい風土です。でも那覇空港に到着した時から心も体も包み込まれる空気、雰囲気は何でしょうか?沖縄の言葉、音階、笑顔、街角の作り方などが醸し出すものが訪れる人を魅了し、虜にします。先人たちから脈々と繋がるその土地ならでは魅力が風度であり、風度を守り磨き上げるのは教育、心そだてだと童門冬二氏は講話を締めくくりました。
焼失した首里城は再建中ですが、同時に残さなければならないのは万国津梁を大切にしてきた沖縄の「風度」だと思うのです。