万葉のまほろばを歩く(3)

「中西進と21世紀を生きる会」という会があります。会員は中西先生の万葉集勉強会の生徒さん、ファンの皆さん、中には「万葉のまほろばを歩く」の旅に参加していただいた方々もいらっしゃいます。先生はご多忙の身、またコロナ禍もあって3年前に入会させていただいた私はなかなかお会いできず,会報誌(21世紀ふくろう)の文章や写真を拝見しています。その会報誌に投稿させていただいた私の拙文を「万葉のまほろばを歩く」の最後に記載したいと思います。

全日空スカイホリデー「万葉のまほろばを歩く」

3年ほど前に当会の相談役である山澤一喜様のご紹介で入会をさせていただきました伊豆芳人と申します。私は全日空の旅行部門の会社でサラリーマン生活を過ごしましたが、長く山澤さんが直属の上司で、退職後の今でも仲良くさせていただいております。

さて全日空スカイホリデーとは全日空国内旅行のブランド名ですが「万葉のまほろばを歩く」と名付けられた企画旅行について書かせていただきます。万葉集が詠まれた素晴らしいところ「まほろば」を旅するこの企画の発案者は山澤さんです。そしてこの旅の要であり、講演者であり、先達としてすべての回に同行していただいたのが中西進先生でした。第一回目は昭和五十年代後半、200名以上が参加し、訪れた「まほろば」は奈良飛鳥でした。以降平成17年の対馬まで19回続き文化力の高い旅のシリーズとなりました。

資料と記憶を辿ると私は沖縄,瀬戸内海,越前・湖北,多賀城など南東北,豊後国東半島,紀ノ川流域と伊勢神宮,大宰府と対馬そして韓国にご一緒しました。中西先生には毎回約1時間半の基調講演、行程中は要所要所で簡易な台に乗って説明までしていただきました。

私の最初の「まほろば」は沖縄でした。沖縄で万葉集?と思われるでしょうが、テーマは「琉歌と万葉集の比較」「大和人と琉球人との精神性の比較」だったと記憶しています。残念ながら早逝された琉歌研究の第一人者、故嘉手苅千鶴子さんにもご登壇いただきました。ツアーでは斎場御嶽も訪れました。今はパワースポットとして沖縄の観光名所ですが、当時は観光バスが近づくことも難しい場所。遥拝場所からは天孫降臨伝説のある久高島を遠く望み、久高島と斎場御嶽を結ぶ線をさらに真っすぐに伸ばすと琉球王朝時代の大城首里城があり、イザナギとイザナミによる国づくりと同じようなアマミキヨという女神とシネリキヨという男神による国作り神話があることを学びました。当時の日本との交流、王朝の正統性と国づくり神話という共通性も学ぶことができました。

宮城県の多賀城跡では中西先生の先導で大伴家持の長歌(海ゆかばの元歌)を参加者全員で詠い,聖武天皇が東大寺の大仏を造営した時代に思いをはせました。最終日には阿武隈高地の山々を眺めながら「智恵子抄」も読みました。

そして唯一の海外は韓国。全日空ソウル支店長になられていた山澤さんのお招きでした。ソウルでの講演会の司会は私、中西先生のご友人でもあった時の在大韓民国日本大使に開会のご挨拶を賜りました。その後訪れた百済の古都扶余では新羅に攻められ多くの宮廷官女が身を投げた落下岩を見学しました。白馬江の流れの先に対馬海峡を進む倭水軍まで見えるような不思議な感覚を覚えています。そして「万葉のまほろばを歩く」の最終回。それまで同行して頂いていた考古学者の故田辺昭三先生が病気療養のため不参加となりましたが、対馬へ 旅をしました。それは12月初旬、地元の人も驚くような雲一つない冬晴れの日でした。中西先生と並んで島西側の展望台に立つと川のようにキラキラと流れる対馬海峡の先に釜山の街並みをはっきりと見ることができたのです。防人の島・対馬と朝鮮半島との船の行き来、人々の往来に参加者全員が思いをはせた時でした。ひとりの年配の女性が「海ゆかば」を歌い始め、ついには全員での合唱になったのです。扶余で倭国を思い、多賀城跡で「海ゆかば」を詠み、対馬で朝鮮半島を眺めながら「海ゆかば」を合唱する。「万葉のまほろばを歩く」はそんな旅でもあったのです。当会にはツアーにご参加いただいた方々もいらっしゃるのでいつの日か思い出話をさせていただければと思っています。

中西先生の大好物であるアイスクリームを一緒に食べたり、行く先々で様々なお話を聞くことができた経験は私の人生の宝物です。

第5回万葉のまほろばを歩く「飛鳥・宇治の巻」で講演する中西進先生

万葉のまほろばを歩く(2)

「万葉のまほろばを歩く」では行程中に何度も中西先生の先導でその地縁の和歌や長歌を参加者全員で詠みました。前回書いたように”みちのくへの旅”では多賀城で黄金が出たことを賀して大伴家持が作った「海行かば 水浸く屍 山行かば 草生す屍」が含まれる長歌を詠い、聖武天皇が東大寺の大仏を造営した時代に思いをはせました。この話には後日談があります。

「万葉のまほろばを歩く」の最終回となった”対馬への旅”の時、島西側の展望台に立ち朝鮮半島を眺めました。12月初旬のこの日、地元の人も驚くような雲一つない冬晴れで川のようにキラキラと流れる対馬海峡の先には釜山の町がはっきりと見えました。防人の島・対馬と朝鮮半島との間のこの海峡を数多くの船が行き来し、人々が往来したことを旅の参加者全員が実感した時でした。ひとりの年配の女性が「海行かば」を歌い始めたのです。最後には参加者全員の合唱となりました。「海行かば」には様々な思いや捉え方があると思いますが、その時の私は郷土を離れ対馬に派遣された防人を思い涙が止まりませんでした。また”みちのくへの旅”では阿武隈高地の山々を眺めながら「智恵子抄」を中西先生の先導で読み,”豊の国の旅”(大分県)では杖をついて竹田市岡城址に上り、「荒城の月」を歌いました。「万葉のまほろばを歩く」はそんな旅だったのです。

この種の企画にはお金がかかります。継続させることにも大変な苦労がありました。当時就航する路線の目的地(ディストネーション)の新たな魅力を探し出し、旅行商品にしてマーケットを開発することに全日空が力を入れていた時代でもありました。「万葉のまほろばを歩く」の時代にはDMOはありません。観光庁もありません。民間の会社が企画し、民間の資金で実施・継続させた時代でもありました。

第16回万葉のまほろばを歩く<豊の国の旅・平成12年11月>岡城址に上り参加者全員で「荒城の月」を歌う。

 

 

 

 

 

 

 

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