北海道へスキーに行く

2017年には年間観光客数がハワイを超え2019年には年間1,000万人を超えた沖縄観光ですが、全日空が沖縄キャンペーンを開始した1970年代には「湘南や千葉の海岸があるのに飛行機に乗って海水浴になんて行くはずもない」と嘲笑気味に評されたことを以前書きました。実は先人たちが北海道へのスキーツアーを始めた時にも「飛行機に乗ってさらに千歳空港からバスに乗ってスキーに行くはずもない!」・・沖縄と全く同じような評価だったようです。昭和47年(1972年)の冬のことでした。                           観光地が目指す共通の目標は「通年観光」、つまり一年を通じて観光客が訪れること、極端なオフシーズンが少ないことです。北海道は「通年観光」をほぼ実現しましたが、そのスタートは全日空のスキーツアーによる冬の需要喚起でした。観光立国政策が遠い未来だったあの時代の民間航空会社全日空の開発力、企画力、そして突進力の凄まじさは書き残しておかなくてはなりません。

私が担当した頃には冬の北海道観光にとってスキーは中心的な存在となっていて、ライバル各社との競争も激化し、北海道へスキーに行くことは真に当時の流行の最先端となっていました。ツアーの発売日には予約センターの電話回線がパンクし、局番が同じだった霞が関官庁の電話にも影響が出て大慌てしたり、発売日前日の夜から当時の営業所には行列ができ始め警察の指示で整理券を発行したり、”流行のど真ん中”にいる体験もさせてもらいました。

北海道スキー商品の準備は夏。今では世界中の富裕層が集まり通年観光を実現しているニセコも当時はホテルとは名ばかりの宿しかなく、その宿も夏は超オフシーズン!のため休館。農業や漁業と兼業していた宿の方方と夕方から打合せと称した飲み会が夜通し続きました。何しろ毎年倍々とスキーヤーが増えていたので打合せの”熱量”たるや半端ではありません。色々なアイデアが実現して行き担当者冥利に尽きる時代でもありました。

「観光」は日本を支える産業として政策となりました。観光学も盛んです。中央にも地方にも観光関連の組織もたくさんでき、多額の交付金もあります。しかし「何か違う?」と思うのはあの時代の”熱量”の中にいた年寄りの戯言?それとも観光立国時代を過ごしている現在の業界関係者への羨望なのでしょうか?

コロナ禍で苦境に立つ観光業界には今こそ凄まじい開発力、企画力、そして突進力を発揮する民間企業の「熱量」が何より大事だと思います。

全日空のビッグスニーカーバス、ビッグスニーカートレインは北海道に個人旅行を定着させる大きな役割を果たしました。

 

2021年3月20日