石垣島の恩人

八重山諸島でのボーダーツーリズムというと日本の最西端・与那国島と最南端・波照間島ですが今回は石垣島の話です。2年ほど前TBSの名物番組「世界ふしぎ発見!」でボーダーツーリズムが取り上げられた際には台湾と石垣島が舞台。石垣島ホテルサンシャインの赤城陽子総支配人にも出演していただきましたが、陽子さんのご尊父、暁会長は長年ANAグループの石垣島での活動を応援していただいた恩人であり今はボーダーツーリズムの良き理解者でもあります。

ANAグループの先人たちが1975年の沖縄海洋博終了後に大きく落ち込んだ沖縄観光のテコ入れのために始めた沖縄キャンペーン。「湘南や千葉の海岸があるのに飛行機に乗って海水浴になんて行くはずもない」と嘲笑気味に評されていたとのことです。先人たちの思いを引き継ぎ私たちも”ハワイのように全世代が一年を通して訪れる沖縄”を夢見て取組んで来ましたが、いつも暖かく見守っていただいたのが赤城暁会長でした。そんな沖縄への年間観光客数が目標としていたハワイを超えました。(2018年)ハワイと比較して滞在日数は短く観光消費額も格段に少ない沖縄ですが、それも「坂の上の雲」。与那国島や波照間島などの島々、さらには台湾も含めた大きな観光圏が実現すればその雲にも手が届くと思います。そしてその夢は陽子さんや石垣島トラベルセンターの瀬戸さん(ボーダーツーリズム推進協議会の会員)たち良き理解者が引き継いでくれると信じています。

北欧を含め約400名の参加があった石垣島凧揚げ大会。ANAの連凧も石垣島の空高く上がりました。(2015年6月)
ANAの連凧は私が上げました。
ANAの連凧

 

 

 

 

 

中国の話

今年のバレンタインデーに国境地域研究センター(JCBS)主催のイブニングセミナーが開催されました。毎月1回日曜日夕方のリモートセミナー。コロナの時代ならではの習慣になろうとしています。今回は九州大学の益尾先生による「中国の海洋戦略」のお話でした。ハードで政治的な内容ではありましたが、大変興味深い内容でした。1時間余りのセミナーを聞いただけで素人の私に中国の外交戦略や国際関係の認識等がわかるはずもありませんし、知ったからと言って何ができるものでもありません。しかしながらツーリズムが平和産業とは言え”何も知らない平和ボケ”では済まないことを学ぶことができました。

コロナウイルスのような感染症だけでなく、戦争・動乱・テロそして外交問題などのイベントリスクに翻弄されるのがツーリズム、特に大衆観光です。コロナ禍前の2019年には約1,000万人の中国人が来日し、訪日旅行者の総消費額の約37%に当たる1兆8,000億円を日本にもたらしました。日本のみならず中国人旅行者への依存度は世界中で高まっており、平和産業であるツーリズムの主役は中国人と言えます。そしてその中国が自国の海警局の船舶による日本領海侵入を繰り返し、言論・メディアを統制しています。益尾先生によると「中国にとって国際法は強者のルールなので強くなれば作り変えられる」とのこと。ならばツーリズムの世界共通のルールも中国が作り変えてしまうのでしょうか?中国は近い将来5億人(2019年の約4倍)の海外旅行者を目標としています。その目標が達成した時、中国人訪日者数は4,000万人を超える計算になります。中国は最大のイベントリスクを内包した最大のマーケットである事を改めて学ぶことができました。

中国漁船拿捕事件の時は中国青島にいました。お客様には夜間外出を控えていただきました。
中国浙江省の西湖。世界遺産である湖の周りを地元の方方とウォーキングするイベント。日中関係悪化によりカービン銃を持った兵士たちに守られてウォーキングしたこともありました。

 

 

 

 

 

 

 

離島の検疫

去る1月23日に日本の9つの境界自治体の首長さんたちが語り合うオンラインセミナーが開催されました。テーマは「境界地域と感染症」。主催者である境界地域研究ネットワークJAPAN(JIBSN)について、またリモート形式で300名を超える参加があったセミナーの模様はJIBSNホームページでぜひご覧ください。http://borderlands.or.jp/jibsn/

このセミナーで私は境界地域の自治体におけるコロナウイルス感染対策の難しさなど多くの事を学びました。夏の観光シーズンに「島に来ないでくれ」と発信せざるえない町長、コロナウイルスパンデミックで露呈した離島医療の脆弱さを訴える町長。多くの離島では感染病床が逼迫しているのではなく、存在していないのです。10月に感染者が出た与那国島は石垣島へ住民を搬送し、PCR検査を行う医療施設がない竹富町も検査は石垣島で。結果が出るまでの待機施設も町で用意するなど離島用のコロナ対応マニュアルがない中で真に現場のリーダーとしての責任を背負った首長たちの苦闘、離島で生きる苦労を学ぶことができました。

コロナウイルスパンデミックでは水際対策が国際線の空港・港で強化されましたが、一方では日々の感染者数の発表、緊急事態宣言の発令、域内感染防止対策などで都道府県の「境」が大変強調されました。ある離島の市長さんは「出張から帰るとばい菌のように言われた」と苦笑いしていましたし、東京都在住者である私との会議が中止となったこともありました。まるで県境に検疫所でもあるようでした。検疫(Quarantine)とは税関(Customs)、出入国管理(Immigration)とともに国境(National border)越える交通や物流において必要であり国内移動には不要な手続きでした。今回のコロナウイルスパンデミックの経験を生かすのであれば「感染検疫」(Infection quarantine)を国内移動にも適用することも必要ではないでしょうか?離島であれば空港・港でのサーモグラフィによる発熱者の感知体制の常設、入島者への体調申告の徹底などです。医療体制が脆弱な境界離島をパンデミックから如何に守るか?大事なテーマだと思います。

与那国空港
Dr.コト―の診療所でも感染病床はありません。

 

 

 

 

日本人の祖先が来た道

「シベリアから北海道」「朝鮮半島から対馬」「台湾から沖縄」の3ルートが日本人の祖先が来た道と考えられています。それを知って与那国島の西崎(いりざき)の海を眺めると潮の流れの速さに驚きます。それは対馬の各展望台から眺める対馬海峡西水道(朝鮮海峡)、稚内市の宗谷岬から眺める宗谷海峡も同じです。3万年前、それぞれの渡海に何度も何度も失敗し、日本人の祖先はこの列島にたどり着いたのでしょう。ナショナルボーダー(国境)などない時代、人類の前に立ちはだかる”壁”は川のように流れる「海の水道」だったのだと、実感します。2019年夏には”地図、コンパス、スマホ、時計などは持たない”など3万年前の条件をいくつも課して、”杉の木をくりぬいた丸木舟”で台湾・与那国ルートの航海に国立科学博物館のプロジェクトチームが挑戦し、成功したニュースもありました。

与那国島は1945年の終戦までは台湾と自由に往来でき、戦後も闇物資を送る復興貿易の拠点として栄えていた(1947年の人口は約1万2000人)とのことですが、現在は航路も空路もありません。この状況を打破すべく与那国町の国境交流結節点化推進事業が計画され、まずは今年度に社会実験が始まるとのことです。それほど遠くない将来、両島が高速船で結ばれれば、与那国島だけではなく八重山諸島を訪れる観光客、ワ―ケーションでの滞在者の観光・行動の範囲が台湾まで広がることが期待できます。真にアフターコロナ時代のボーダーツーリズム(国境旅行)の実現です。

与那国島西崎には日本最西端の碑があります。
島南東部の海岸にそそり立つ立神岩(たちがみいわ)島民に信仰もされる神の岩です。

 

与那国島と与那国馬

与那国島は日本最西端の有人国境離島です。東京からは約1900kmの距離ですが台湾とは約110km。私には経験はありませんが、年に数日、台湾が望めるようです。島の東の端、東崎の広い草原には与那国馬が放牧されています。他品種との交配や品種改良が行われたことがない、固有種とのことです。昔は農耕馬、今は観光用で来島者も見ることができますが、生き物の自然の姿、厳粛な時間の流れに感動さえ覚えます。                                    与那国島の人口は約1700人。中には約250名の自衛隊員とその家族が含まれます。与那国ブルーの海と与那国グリーンの草原、Dr.コト―が自転車を走らすパラダイスのような島ですが、日本の防衛の前線基地でもあり、南方アジアへのゲートウェイでもあります。与那国空港は小型プロペラ機が離着陸するですが、中型機B737も使用可能な長さ2000mの滑走路を持ちます。

コロナウイルスパンデミックにより従来の観光が見直されています。ワ―ケーションで日本中いやアジア・世界中から与那国島に移り住んだ人々が、仕事の合間に与那国馬のいる東崎に自転車を走らせ、週末には他の八重山諸島、さらには台湾へ気軽に週末旅行をする賑わいも夢ではありません。

Dr.コト―が自転車で走る姿が見えるようです。

 

残酷な画像です。与那国馬はこの草原で生まれ、生き、骨になって土に還ります。
与那国馬