万葉のまほろばを歩く (1)

中西進さん。言わずと知れた万葉集の大家、国文学の大家、知の巨人です。元号令和の発案者として時の人になったことは記憶に新しいところです。先生とのお付き合いは25年以上となります。”お付き合い”とはおこがましいのですが・・・、私が長く勤めていた全日空商事(旅行部門)が19回にわたり実施した旅行企画「万葉のまほろばを歩く」に講師として、また行程の先達としてすべての回に同行していただきました。私は途中からの担当ですが万葉集が詠まれた”まほろば”(素晴らしいところ)を訪ねて日本各地、朝鮮半島まで出かけました。

「万葉のまほろばを歩く」の第1回目は昭和50年代後半、京都で開催されました。この”伝説”の発案者は私の師匠です。79歳になられる今でも冷めることない,私がいつも書く”熱量溢れる”人の代表で、一言,すごい人です。 さて、1回目。200名以上の参加者があり全日空商事(旅行部門)初の大型企画で失敗を許されない緊張の中、懇親会での料理が足りない、添乗員が寝坊する、バスが来ない、などなど後世に語り継がれる”伝説”的な1回目になりました。

資料と記憶を辿ると中西先生とご一緒した”まほろば”は沖縄,瀬戸内海,越前・湖北,多賀城など南東北,豊後国東半島,紀ノ川流域と伊勢神宮,扶余(韓国),大宰府と対馬です。毎回約1時間半の基調講演、行程中は要所要所で簡易な台に乗って説明をしていただきました。私は団長兼添乗員でお客様対応でじっくりお話を聞くことはできませんでしたが、それでも忘れられない語り、場面はたくさんあります。先生の大好物であるアイスクリームを一緒に食べたり、行く先々で写真も撮らせていただきその経験は真に人生の宝物でもあります。

さて「万葉のまほろばを歩く」にはもう一人、大事な方がいらっしゃいました。考古学、それも水中考古学の大家である故田辺昭三先生です。豪快で酒豪。旅館の大風呂に一緒に入り、お酒のお付き合いもさせていただきました。行程中、例えば宮城県の多賀城跡では、中西先生が大伴家持の長歌(海ゆかばの元歌)を朗々と先導し、田辺先生が発掘された出土物の特徴を語りました。それぞれの先生のファンは中西先生とともに歌い、田辺先生の話を熱心にメモを取られて、今思い出しても豊かで知的好奇心を満たす贅沢な旅だったと思います。その田辺先生が体調を崩されたのは最終回(19回目)の対馬への旅の直前。京都のご自宅までお見舞い伺いました。参加するお客様へ不参加を詫びるメッセージをお書きいただき、わざわざ玄関先まで見送っていただいたのですが、2006年2月帰らぬ人になりました。

中西先生からは北海道でアイヌ民族の叙事詩ユーカラと万葉集との比較をテーマに20回目をやりましょう、とのありがたいご提案をいただきましたが私の無精により「万葉まほろばを歩く」は19回で終了しました。(中西先生のご提案は後年「オホーツク人文化」の旅で実現しました。)

世はDX時代。ファストツアー全盛です。しかし「万葉のまほろばを歩く」のような旅を創る旅行会社はまだまだ頑張っています。根強いファンの高齢化が心配ですが、デジタル化できない土俵で企画力で活路を見出す努力を旅行会社は忘れてはならないと思います。

「万葉のまほろばを歩く」韓国編。説明をする中西進先生。右後方のサングラスの方が故田辺昭三先生。左後方に添乗員の私がいます。
百済の旧都である扶余にある皐蘭寺。新羅に攻められ3000人の百済宮廷官女が落下岩から身を投げた場面の絵を見る。

 

2021年6月27日