長崎県五島列島は中国に一番近い日本の島のひとつです。遣唐使船の日本最後の風待ちの地として大変重要な島で、空海と最澄が乗船していた804年の遣唐使の船の風待ちも五島の島々だったようです。修行後の空海は福江島(南部 下五島)玉之浦大宝に上陸したのち五島の島々を巡り、多くの伝説を残しました。今でも「五島八十八ヶ所霊場めぐり」は静かなブームが続いています。
この島々の奇跡は真言宗の開祖空海と天台宗の開祖最澄が教えを残したことだけではなく、キリスト教の日本最初の布教の地でもあったことではないでしょうか。 キリスト教については歴史書の通り、徳川幕府の苛酷な禁教令に反発した島原・天草の乱が起こりました。2万人余りが殉教した悲劇の後、開府当初は曖昧だった鎖国も完成したと言われています。 そして200年以上の年月を経た幕末。ローマ教皇は開国近い日本に再び宣教師を送り始め、宣教師たちは横浜に続き長崎にも鋭い尖塔を持つ大浦天主堂を建てました。そこに訪れた女性が神父にささやきました。「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」と。禁教下で心の中に信仰を守り続けた潜伏キリシタンの発見、奇跡の「信徒発見」です。潜伏キリシタンは表向きは仏教徒のように生活し、例えば天照大神像や観音像をマリアに見立てたり内向きにキリスト教を信仰していたようです。世界でも稀なこの信仰形態は潜伏キリシタンの文化的伝統として世界遺産として登録され、五島にも「久賀島集落」と「奈留島の江上集落」という世界遺産構成資産、20以上の教会があります。一方、遣唐使遺跡は「国境の島~古代からの架け橋~」として日本遺産にも認定されており、総面積が東京23区の三分の二しかない五島列島は世界遺産と日本遺産の両方がある奇跡の島々でもあるのです。
風待ちの島五島列島の沖合の海は歴史の通り道、回廊でもあります。遣唐使船に乗っていた空海も最澄も道標として上げられたのろし、篝火を見たことでしょう。また日露戦争の日本海海戦時に「敵艦見ゆ」の第1報を受信した通信所があったのが福江島の大瀬崎です。大瀬崎は太平洋戦争で南方へ出征する兵隊たちが最後に見た日本の風景とも言われています。鎮魂碑と祈りの女神像(1978年建立)が立つ丘から見下ろす大瀬崎灯台と広がる海原は一見の価値があります。
ボーダーツーリズム推進協議会のメンバーのおひとりでもある五島市の久保副市長はこう書いています。「五島のように国境地域にある離島はこれまで旅の到達点でしたがボーダーツーリズムを活用することにより始発点になることができます。その優位性を生かして島の振興につなげていきたい。」(毎日新聞日曜版コラム・旅するカモメ/ボーダーツーリズム 2018年9月9日掲載より)
国境・境界地域は日本の”端っこ”であり、”出入り口(ゲートウェイ)”でもあり、それが真に興味深い、独特の観光資源にもなっているのです。