全日空は1970年代後半から「歴史」をテーマとした文化事業を行ってきました。最初のテーマは「邪馬台国」。1978年に博多で開催され、以降東京で大手新聞社と共催で邪馬台国シンポジウムが開催されました。1979年の時には500名以上の”古代史ファン”が集まりました。私は担当者・添乗員として関わりましたが、邪馬台国が畿内にあったのか?北部九州にあったのか?などは全く興味がありませんでしたが「歴史」の集客力の大きさは強く印象に残りました。 以降、万葉集の旅は19回、源氏物語の旅も数回、単発では全日空歴史ツアーとして安土城築城の秘密を探る旅などが続きました。固定客が付いていると言うか、文化勲章受章者の中西進先生始め旅の先達をお願いした先生方の人気のお蔭でどのツアーも満席、お断りすることもしばしばで全日空グループの文化事業として定着していました。
それでは北海道の歴史をテーマとした旅を創ろう!と試みました。1998年のことでした。自然・景観・味覚・温泉など日本有数の観光素材を持つ北海道ですが、季節を問わず旅のテーマとなりえる「歴史」はあまりありません。そこで目を付けたのがオホーツク文化でした。 オホーツク文化とは紀元7世紀から13世紀にかけてオホーツク海沿岸に存在した文化です。流氷がもたらず豊かな恵みを糧とし北東アジアや中国大陸とも交わっていた真に魅力的で謎に満ちた文化であり、流氷とともに来て流氷とともに消えた謎の古代人オホーツク人は牙製女性像やクマ像、青銅器の帯飾りや残しアイヌの先祖とも言われています。なぜ消えたのか?どこへ消えたのか?邪馬台国論争のようなブームになれば”古代史ファン”が東北海道に押し寄せるはずだ、との思いでした。 1998年7月、網走市民会館で大がかりなシンポジウムを開催しましたが、残念ながら”古代史ファン”が押し寄せることはありませんでした。
文字を持たなかったオホーツク文化は魏志倭人伝、万葉集、源氏物語、信長公記のようなものは残っておらず、ツアーやシンポジウムが考古学の専門的検証(古墳などの住居跡・土器などの出土品など)となってしまったことが原因でした。難しいものです。
残念な結果ではありましたが、歴史ツアーのヒットの秘訣は「文字」という教訓を得ることができました。そして何よりも”歴史を東北海道の観光のテーマ・素材に加える”という取組自体は網走市、道東の観光関係者の皆さんに高く評価していただけました。網走市の施設でのオホーツク文化の展示物の中には当時のレジュメ(シンポジウムの資料)が今でも置かれています。
網走などオホーツク沿岸から千島列島、サハリン(樺太)、間宮海峡をはさんでアムール川流域にまたがっていた「オホーツク文化」はボーダーツーリズムの旅のテーマでもあります。3世紀頃の日本列島を知る史料である魏志倭人伝、7世紀・8世紀頃に日本の隅隅で詠まれた歌を集めた万葉集を基にしたボーダーツーリズムの旅も知的好奇心を刺激する旅になると思います。