稚内赤レンガ通信所

NHK大河ドラマに取り上げられ視聴率が取れる時代は戦国時代と明治維新と言われますが、京都はその両方の舞台となります。東京からの新幹線が京都駅に近づいた時に見る東寺はいいものです。いつもわくわくします。京都の歴史は旅のテーマとしても超ド級、超A級なことは間違いありません。またドラマの主人公たちの生誕の地やゆかりの地も記念館を突貫で作り盛り上ります。旅行会社は一斉にツアーを募集します。多くの場合観光客増の効果は放映の年のみで限定的なのですが、大河ドラマの誘致のために地方自治体は”NHK詣で”をするようです。

とは言えドラマに取り上げられる歴史だけが日本の歴史ではないことは言うまでもありません。大河の流れではなくても支流や土砂が堆積してできた大小の湾処(わんど)に小魚たちが住み、水草が繁殖しているように些細だけど興味深い史実、史跡があり、人物がいます。日本の国境・境界地域はそんな観光素材、物語の宝庫と言えます。

その一つが稚内赤レンガ通信所です。太平洋戦争時、真珠湾攻撃を指示する暗号電文「新高山登レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」が中継されたと言われています。敗戦後、米軍キャンプとなりその後は国の管理を経て現在は稚内市の所有となり、2019年には稚内市歴史・まち研究会が保存のためのクラウドファンディングも行われました。(私も応援させていただきました。)    稚内空港からわずか5kmにあり、太平洋戦争を知り戦争の悲劇を語り継ぐ大切な史跡であり物語なのですが,観光客が訪れることはあまりないようです。     私が初めて訪れたのもボーダーツーリズムに関わるようになった後の2018年9月でした。朽ち果てそうな赤レンガの建物、緑濃い丘陵の風景を見て涙が出てきました。そして市の教育委員会の斉藤さんの丁重な説明を聞き、日本の国境・境界地域の知られざる史実、史跡、人物を紹介していくこともボーダーツーリズム推進協議会の大切な役目だと意を新たにしました。

私が訪れた日は日曜日で稚内市街には駐屯する自衛隊と市民との交流会も開かれていました。市民も自衛隊員も笑顔でしたが、大通りに戦車(装甲車)が止まっており、国境のまち、稚内の一面を見ることができました。

稚内赤レンガ通信所(2018年秋)
当時使用されていた物が置かれていました。
駐屯する自衛隊と市民との交流会。大通りに止まっていた戦車(装甲車)

 

 

 

 

2021年4月19日