阿寒湖温泉は阿寒摩周国立公園に位置しています。カルデラ湖である阿寒湖、その湖を悠然と見下ろす雄阿寒岳と雌阿寒岳、周辺は手付かずの原生林が広がる日本最古(昭和9年指定)の国立公園です。貸切バスによる周遊観光全盛(1980年代)のころ千歳空港を出発したバスはまずは道央(時計回りの周遊なら層雲峡温泉、反対周りの周遊なら十勝川温泉、糠平温泉、あるいは富良野)が第1泊目となり、2日目東北海道での観光を終えると宿泊は両回りともに阿寒湖温泉に宿泊するコースに人気が集まり,当時旅行業界では「阿寒湖を制する会社が道東を制す」と言われた程でした。人気の阿寒湖温泉の旅館の部屋が取れなければツアーが成立しなかったからです。旅館獲得競争、特に全日空と大手NO1旅行会社との”バトル”は当時業界でも有名な”酒の肴”になったものです。旅館への全日空(担当者は私)の要求は、全て2人1部屋・バストイレ付き。当時1部屋に4人、5人の相部屋は当たり前、温泉旅館になんでお風呂がいるの?と散々”素人扱い”されました。個人旅行の黎明期の話です。当時阿寒湖温泉にも”熱量溢れる”旅館人もいらっしゃり、助けられ励まされたのですが、今はもう多くの方が鬼籍に入られました。
そのお一人が5年前にご逝去された金行正行さん。阿寒湖の恩人です。生前、金行さんが愛したのが「光の森」です。鹿児島県出身の前田正名が明治39年に国有未開地として払い下げを受けた約3600ヘクタールの森を「前田一歩園」と名付けました。樹齢800年を超える桂の木々から漏れる陽光から「光の森」と呼ばれ、今でもその子孫が管理しています。私は20年以上、毎年金行さんと一緒に「光の森」のみならず周辺の森に入りました。春はコゴミや行者ニンニク、秋にはボリボリや落葉などのキノコを(許可をいただき)採ったものです。春はクマよけの鳴り物、秋は毒キノコを選別する目が必要なので阿寒湖の”プロ”が同行してくれました。この体験をツアーに取り入れ多くの旅行者を集め、今では前田一歩園認定の”森の案内人”同行のネイチャーツアーが人気なので当時からDMOのようなことをしていたわけです。全日空の”2人1部屋・バストイレ付き”確約のツアーが始まり、団体客ばかりだった阿寒湖温泉にスニーカーを履いた若い女性たちが毎日毎日バスから降り、温泉街を散歩するようになりました。旅館の人たちはビックリ!時代は個人旅行へ。「全日空さんと一緒にやる!」と賛同してくれたのが金行さんでした。
阿寒湖畔にある前田一方園記念館には前田正名が東郷平八郎と撮った写真が飾られています。「物ごと万事に一歩が大切」から「一歩」をとって命名した「前田一歩園」。明治の人の進取の精神、矜持を感じます。