JIBSN・境界地域研究ネットワークセミナー2022参加記(4)

日本の有人島最南端“波照間”研修
11月20日(日)はJIBSNセミナー恒例のエクスカーションでした。今回の計画を練っている時の一番の課題はこのエクスカーションの際の天候、つまり波高でした。10月の段階での現地情報では悪天候が続き、波照間島や西表島へ行く船の欠航が相次いでいました。悪天候の場合は小浜島等別の島へ行先を変更することも考えながら当日を迎えましたが、前日の天気予報の通り、快晴、無風の朝を迎えました。約40名の参加者は石垣港08:00発の小さな高速船に乗り込みました。   波照間島まで相当の揺れを覚悟しましたが、いわゆる“変な揺れ”がない約70分でした。
波照間を13:00過ぎには出なくてはならないという真に短いツアーが始まりました。東京から来て島で結婚したという若い女性ガイドさんの話を聞きながらマイクロバスはゆっくり進みました。船の欠航率が高いこと、欠航すると食料などの日常品も届かず「大変なんです。」とさらりと苦労話を話すガイドさん。しばらく進むと珊瑚石を積み上げた「コート盛」と名付けられた“見張り台”がありました。外国船や琉球から中国へ渡る大和の船の通行を監視し、烽火(のろし)により、その通行を石垣島にある役所に通報することが目的とのこと。約4メートルの高さの「コート盛」に上がれば島を一望することができましたが、波照間島は最高標高が約60メートル足らず。最南端の島発の通報は島々を経由して石垣島にあった役所まで届いたことがわかります。また国境の島には烽火台があるのだな、と長崎県対馬を思い出しました。白村江の戦で敗れた日本が朝鮮海峡を渡ってくる敵船を見張るために烽火台を置き、徴兵された防人が配置された対馬。故郷を思い焦がれた防人はたくさんの歌、防人の歌を残しました。波照間で烽火を上げたのは誰だったのでしょうか。そして何を思い、何を残したのでしょうか。どこまでも青い海原を眺めながら遠い昔に思いを馳せました。
その後も歩きながらの観光が続き、小中学校の正門前に着きました。日曜日でもあり校庭に子供たちの姿はありませんでしたが、大きな立派な校舎でした。島の人口は約500人。その内子供が100人とのこと。少子化?どこの話でしょうか?波照間島の妊婦さんは定期検診も船で約70分の石垣島まで行き、臨月の前には石垣島へ行き出産に備えるのとのこと。費用はすべて島の負担とは言え島での出産は大変なことでしょう。
私にとって初めての波照間島。島の暮らしの大変さを知った上でも「幸福な島」だと思いました。住むには苛酷な条件があることを知りましたが、訪れる旅行者の心を「幸福さ」で満たしてくれる島、波照間島。日本の最南端に位置しますが「天国に一番近い島」ではないか、と最後に訪れた“ニシ浜”の白い砂に立って思いました。
観光業界で“安・近・短”という言葉があります。“安くて、近くて、短い”という売れる旅行商品の特徴を意味しています。確かに1泊しかしない海外旅行、“弾丸”と付いた旅行商品は今でも根強い需要があります。国境・境界地域への旅行はそんな“安・近・短”には無縁です。しかし私がANA系の会社で旅行業に携わっていた時に「たどり着く旅はブランド」ではないか、と何度か実感したことがあります。航空機、地上交通、そして船などを乗り継いで行くこと自体が楽しく、やっとたどり着けば達成感は半端なく、季節外れでも天候が悪くてもその地で体験できることは特別なもの。その体験に感動し、たどり着いた旅行者の心は「幸福さ」で必ず満たされます。「たどり着く旅」は“高・遠・長”ですが真にOnly-Oneのブランド力を持っているのではないでしょうか。
亜熱帯の気候、美しい自然に恵まれた八重山諸島への旅は、美ら海の向こうに広がる国や地域との交流の歴史と今に興味を持つことによってさらにOnly-Oneの旅になります。ボーダーツーリズムの魅力を改めて確認することができた3日間となりました。

日本最南端の島・波照間
(2022年11月)
2023年2月6日